隅田川について

来年の檀の会で私は隅田川と張良の2曲を勤めさせていただきますが、まず隅田川のことにふれさせていただきたいと思います。

今回は2度目の挑戦です。初演は平成11年3月第12回の檀の会でした。この年は父の7回忌追善としての開催で、ご宗家もご出演いただきました。子方は崇俊でした。今から13年前ですから私は37歳です。大曲の隅田川を勤めるには年が若いのですが、父の追善ということで師匠のお許しを得まして勤めることができました。謡が難しい曲ですので随分稽古しましたが、自分の未熟さを痛感しました。今回は初演の経験を生かして、今の私を精一杯勤めたいと思っております。来年は家内の7回忌の年で、追善の気持ちがありましてこの曲を選びました。

東国隅田川を舞台にしたこの曲は、シテが子供を人買いに奪われた都北白河の母、ワキは渡し守、ワキツレは都の旅人、子供の亡霊(梅若丸)が子方として登場します。

囃子方、地謡が着座しますと、小ぶりの塚が引き廻しという布に覆われて出されます。(上に榊がのせられて、周りに柳の葉が付いています)

その後渡し守(ワキ)が登場し、人々を待ちます。そこへ都の旅人(ワキツレ)、続いて子供を捜し求めて女(シテ)が狂乱の態で登場します。笠をかぶり、笹(狂い笹といいます)を持っています。女は渡し守に舟に乗せてほしいと頼みますが、渡し守は、面白く狂って見せよ、さもなくば乗せないとつれないことを言います。女は伊勢物語の業平の東下りの部分を出して渡し守に歩み寄ります。

後半の劇的なクライマックスの前の非常に音曲的、舞踊的にも見所だと思います。シテの力が必要です。ワキ、地謡、囃子方の皆さんに圧倒されないように頑張ります。つづく

 

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