蝉丸
百人一首で有名な人ですよね。今昔物語では宇多天皇の御子で管絃の道を極めていた式部卿の宮敦実親王の雑色(ぞうしき)雑役となっていますが、平家物語では延喜第四の皇子(延喜の帝は醍醐天皇)となっていまして、能ではこちらを受けています。醍醐天皇は天下をよく治めた名君として知られていますが、不幸にも盲目の皇子を捨てることになります。太平記には天皇は藤原時平の讒言を容れて菅原道真を筑紫に流したことによる報いから鉄屈地獄に堕ちたとありまして、その辺から話ができていると思われます。
能の蝉丸ではシテは第三の皇子の逆髪(さかがみ)、蝉丸のお姉さんで、蝉丸はツレです(特殊演出になりますと二人がシテになります)。話は蝉丸が逢坂山に捨てられるところから始まります。次第の囃子で蝉丸一行が左右にワキツレ二人で輿の作り物を持ち登場します。ワキの清貫(きよつら)が後よりお供してきます。逢坂山に着くと清貫は父帝の非情を嘆きます。しかし蝉丸は親の慈悲だからといいます。(この時代は落ちぶれた態をさらすことがその身の罪を解消すると考えられていました。)蝉丸はその後出家します。舞台上で僧の姿になり、笠と杖を持ちます。ワキ一行は蝉丸を残して山を下ります。(松井定之著 能の観賞を参考にさせていただきました)
すいません、この続きはまた明日にさせていただきます。