歌占

「歌占」は「杜若」に比べて呪術芸能的要素をまだ多分に残している曲である。男の巫女が占を生業として諸国を巡り歩く。占とは神の心を人が知る方法で、占師に神が乗り移って運命の予告を人間に与えるのである。

まずツレの男が子方幸菊丸を伴って登場し、シテの男巫女に歌占を見てもらいに行く。この男の役が観世流ではワキでなくツレである。ワキという役は能が舞台芸術となり劇的要素が取り入れられた時に確立したものであるならば、この曲のこういうところにそれ以前の能の形が残っているのではなかろうか。舞台芸術になれば「杜若」のような舞踏的要素の強い曲でも、シテがワキに「あら心なの旅人やな」とか「事新しき問ひごとかな」とかいう劇的葛藤の要素が少しは入ってくるのである。

シテの歌占師渡会の某は若年ながら白髪である。これは一度頓死して蘇ったのでそうなったのであるが、神が人形となってあらわれるときにはよく白髪の人間の形を借りる。今でも若い人の白髪が福白髪といって福相とされている。能にも「道明寺」の白太夫の神があり、「白鬚」の神があり、「代主」も「白主」であろう。神のお告げの通告者としては白髪も大いに意味のあることである。

占の方法には和歌が使われる。和歌は「杜若」にみるように仏道に通じるだけでなく、神の心にも通うのである。歌を占に使うことは保元物語にも見えていて、久寿二年に鳥羽法皇が熊野神社に参詣された時、巫女が歌占で法皇の御命で来年の秋までしかないことを予告申し上げたのである。この曲ではシテは弓を持ち、その弦に短冊がつけてあって、ツレや子方がおみくじを引くように手に当たった短冊の歌を読みあげると、その歌の意味をその人の運命に結びつけてシテが説き聞かせるのである。そしてその問答の末に占に出ていた通りシテと子方とが親子であることが判明する。

そのあとツレに所望されてシテは地獄廻りの曲舞を舞う。「歌占」の作者は元雅であるが、クリ・サシ・クセは「地獄の曲舞」という独立した芸能を取り入れたのであって、それは山本某が作詞し海老名の南阿弥が作曲したことが「五音」に記されている。もっとも典型的なクセである。そしてこの曲舞を演ずると神気が憑いて狂乱するというのも能の原点をよく指示している。立ったり居たり眼を驚かせるはげしい狂乱もやがて覚めて親子打ち連れて故郷の伊勢に帰ってゆく。

本曲に「伊勢や日向のことも問ひ給へ」という言葉があるが、これには一つの説話がある。二人同年の伊勢の国の男と日向の国の男とが同時に死んで閻魔の庁に送られた。ところが伊勢の国の男が死んだのは閻魔帳のミスであることがわかったので、あわててその死骸に魂を入れ戻そうとしたが、死骸はすでに火葬に付せられてしまった。そこでやむを得ず日向の男の身体に魂を吹き込んだのである。それ故生き返った男は、肉体は日向の国の男で精神は伊勢の国の男というちぐはぐなものになって、対面に来た家族ともいろいろな行き違いが生じるのである。この曲のシテも一度あの世に行って帰ってきたのであり、神気がつくと自分の身体が自分の身体でなく動き働くことになる。「杜若」の原典である伊勢物語の伊勢という名もその意味でつけられたという説がある。伊勢物語は業平の日記をもとにしたものではあるが、業平以外の人のやったことも皆業平の行状として書かれているからである。一見関係ないように見える「杜若」と「歌占」の間にこのような共通点があるのは面白いことである。

松井定之著 能の観賞の一部を引用させていただきました。

 

 

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