つづき

安宅のお話はご存じでしょうか。歌舞伎では勧進帳といわれていますが、人気曲です。能もベスト5に入るのではないでしょうか。

源の義経一行は頼朝との不仲で奥州に下ります。(詳しい話ははぶきます)途中富樫の某の待ち構える安宅関にきます。そこは山伏に限って(頼朝の命により)止めている関で、一行は絶体絶命の危機になりますが、弁慶は東大寺の勧進(寄付のようなものです)のためといって、勧進帳(中身の書いていない)を読み、さらに強力の姿に身をやつし(弁慶のアイデアで)た義経を金剛杖でたたき富樫を欺き(本当はそこまでした弁慶に敬意をしめしたとおもわれます)、無事に関を逃れます。

無事難を逃れましたが、弁慶は義経への無礼を詫び、泣きます。義経は弁慶の振る舞いに感謝します。この辺はぐっとくる場面です。一行はいまの境遇を悲しみなげきます。

そこへ先程の富樫がやってきて、酒をふるまいます。義経を隠し、弁慶は疑われないように酒を飲み、舞を舞います。(一転して酒宴の場面)舞い納めた弁慶は隙をみて、義経一行とともに走り去って奥州に向かいます。(同山はそれまで座っておりますので、急に立って走りこむのはかなりきついのです)

次回は来年2月26日に同山を勤める予定です。(しかも頭です)

この日はこの後大山の薪能にいきました。土砂降りの雨でしたが、舞台は屋根がついていますので行われましたが、ご覧になられる方は寒いし、カッパをきたりされての観能で気の毒でした。

この日は吉野静という曲の地謡でした。あまり出ない曲で初めて謡う曲でしたので、緊張しましたが無事すみました。なんともハードな1日でした。

翌日6日は吉祥寺の薪能で葵上のツレを勤めました。薪の煙をすってしまい、声を出すのがきつかったです。よくあることなので気を付けていたのですが、まいりました。なんとか最後まで声が出ましたので、ほっとしております。屋外の催しはどうしても喉を傷めますので、気を付けております。

このように非常に充実した舞台生活でした。その翌日7日は朝素人会の申し合わせが9時からあり、午後は長野の稽古に行きました。2泊3日で日曜に帰りました。日曜に久しぶりに善光寺に行きました。その話は次回にさせていただきます。

 

 

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